満州にて終戦を迎え シベリアに抑留されました。 辛い日々を如何に生きるかが人生の参考になれば良いかと想います。
  異  聞  抑  留  記 NO 12
平成 7年              著者   江藤 一市
1.終戦 2.苦難の町 3.虱駆除 4.医療天国 5.炭坑
6.平原の歌声 7.炭坑の女 8.小野軍曹 9.収容所の楽しみ 10.アウトロー
11.班を作る 12.アクモリンスク 13.補充食糧 14.MTC生活 15.可愛い妹
16.特異体験 17.偽の診察 18.金鉱i石採掘 19.魚釣り作業 20.食糧が無い
21.特異体験 22.ジョロンベッドの街 23.ダワイとダモイ 24.帰国命令 25.ナホトカ収容所

【アクモリンスク収容所】
『 移 動 』
「アクモリンスク収容所」に移動の命令が出たのは翌二十一年十一月二度目の冬を迎えてからだった。半分の二百五十人が、「アナール」を後にした。楽しかったグルーシキの仕事を離れるのは心残りだったがどうにもなるものでもない。
「アクモリンスク」はシベリヤ鉄道の「ペトロパバロフスク」より南下700〓、「カラカンダ」の北方250〓の地点。「ウラジオストック」から9100〓も離れた、人口三十万人の都会であった。「ラーゲル」は市街とは3〓程離れた所に在った。東西300b、南北250b、高さ2b〜2.3bの板囲いで囲まれていた。ここは「アナール」とは設備の全然違う大収容所で、千五百人程が収容されていた。その内、半分以上がハンガリヤ人(マジャール)ドイツ人(ニィメッツ)二百人、日本人(ヤポニカ)五百人[以前から居た二百五十人と合流]、それに若干のイタリヤ人(イタリヤーノ)の混成だった。マジャールが実権を握って、かなり民主的に運営されていた。此処には炭坑の外、発電所、工場、農園等が在り、仕事も種々様々。工場で働く人は、旋盤、仕上げ、組立、鍛冶職、鋳物師等々。夫々の技術を活かして楽しく働いていた。警備も「アナール」二比べるとずっと緩やかで、殆ど自由と言って良いほどだった。私はもう医療室に復帰することも叶わず、一般作業班に組み込まれた。
『外柵穴掘り。楽して得する法』
最初に外に行ったのが、発電所外柵の穴掘りだった。二十人が一組となって穴掘りに従事した。一辺が1bの真四角の穴を、3b置きに掘って行くのであるが、深さ1bの穴を、二日で掘り上げるのが各人に課せられたノルマであった。この時もロシヤ人の計算に弱いのには呆れたものだった。穴の位置を決めるのにマッセル(工事監督)は、20bの長い巻き尺を持っていた。普通我々だったら、巻き尺を一杯延ばして、3・6・9・12・・・という風に、印を付けて行く筈である。ところが彼は三進法の計算が苦手らしく、巻き尺を3b延ばすと、その一端を兵隊に持たせ、自分で3bの処に印を付ける。そしてその位置に兵隊を呼び寄せ、其処から3bを又測って印を着ける。そんな風に基点を一回一回移動させて印を着けて行く。見て居て実にまだるっこい。遂に見兼ねて「私にやらせてくれ」と申し出て、巻き尺を受け取り一杯に延ばすと3b置きに印をし、一回で六ヶ所に印を着けた。マッセルは腕を組んでじっと見ていたが、やがてそのしるしが確かに3b置きになっているか確かめるために自分で測ってみた。そして納得。「ハラショー」(よろしい)と言って後は任せてくれた。これが土木工事の監督なのだから開いた口が塞がらない。
さて、穴掘りであるが、鶴嘴(キピャートク)とバール(ローム)で掘るのであるが、地面が凍っているので全然ロームが立たない。何しく冬期は零下二十度以下に迄下がるのだから、可成り深い処迄かちんかちんに凍っていて、夏になっても地表から僅かしか溶けない。土質が完全な砂なので、これに雪解け水が滲み込んでいるのだから、氷を掘るのと同じで、鶴嘴も全然受け付けない。氷の破片が飛び散るだけ。これではとてもノルマどころではないと思った。ところが翌日非常に都合の良い事に気がついた。休憩時には石炭を燃やして暖を採るのであるが、朝来てみると、昨日火を焚いた跡は氷が溶けて、ラパートカで掬える程柔らかくなっていた。占めた!と早速穴を掘る場所で火を焚く事にした。此の石炭は日本のものとは違っている。炭質は手で割れる程柔らかい。そして全く無煙。それに着火し易い。新聞紙を丸めてその上に石炭を置き、新聞紙に火を着けると、着火する。そして一度火が着いたら、一個だけ話して置いても完全に燃え切って仕舞う。火種に石炭を継ぎ足し、少し風を送って火勢を強めてやると完全に燃焼する。尤も火力は少し弱い様だが・・・。燃え切った灰は純白でとても奇麗なものである。話に依ると、これは太古に繁茂して居た特殊な羊歯類が埋没、炭化した物との事だった。朝から火を焚いて、昼前に其処を掘ると、ラパートカで簡単に掘れる。10a位は地盤が下がるので、又其処で火を焚いて帰る三十分位前に掘る。そしてその跡に思いっきり石炭を置き、それに火を着けその儘にして帰る。翌朝来てすぐに掘ると20aから30aも簡単に掘れる。これだ!とみんな大喜び。何しろ凍った儘では、一日20a地盤を下げるのも難しい。とてもノルマの1b等は覚束ない。それが火さえ焚けば、十分くらいで20aも掘り下げることが出来るのだから・・・。


さてそうなると石炭の調達が問題である。暖を採るくらいなら其処らから拾い集めて来ても間に合うのだが、これほど多量になるとそう簡単には行かない。石炭は発電所で使うので、裏手に幾山にも分けて多量にあるのはある。それを運ぶより外無い。これを所員に見付からぬ様に運ばねばならぬ。そこで各人役割を決めた。見回りの所員を捕まえて話し込む者、その隙に石炭を運ぶ者、焚き付けにする、吹き寄せられた枯れ草の茎を集める者と言う風に、夫々手分けしてこれを実行した。マッセルに「アックダー・ウーゴリ・タスカイ」(何処から石炭を持って来たのだ?)と聞かれたこともあったが、「ああ、其処らに落ちていたのを拾い集めたのだ」と言って置いた。マッセルも薄々感じてはいたが、そう深くは詮索もしなかった。盗んでいる現場を押さえられさえしなければ問題ではない。私達は毎日暖をとりながら、雑談、氷の溶けるのを待つ。一日中火を焚いて、朝来てからとお昼前、そして帰る前と一日三回だけ掘る。それで十分ノルマは達成出来たのだからマッセルもご機嫌だった。
仕事をする時、日本人はすぐに帽子を脱いで鉢巻をする。所がロシヤ人は帽子を脱ぐ事を嫌う。それは帽子を脱いで頭を冷やすと風邪を引く(病気になる)と信じている。だから「パチムー・シャープカ・スニマイ」(なぜ帽子を脱ぐんだ?)戸すぐどなる。そして「お前達は頭を冷やして病気になり、仕事を休もうと考えているのだろう」と訳の判らん事を言う。『アホか!だからお前達は頭が悪いんだ』と言いたくなる。こんな風な毎日で、この作業も半月ほどで無事終了した。『食糧補充・馬鈴薯(カルトーシカ)の積み替え』
馬鈴薯の積み替えと言う仕事があった。空腹を満たすには絶好の機会だったので志願者がとても多かった。選ばれなかった人達はとても残念がったものだった。馬鈴薯は、大きな倉庫にバラでその儘集積されていたが、中期間置くと下積みの分が腐るので、時々積み替えるのであった。五人位に警備兵一人が着いて、泊まり掛けで町の倉庫に行く。一日中馬鈴薯と戦うわけである。休憩時、食事時には外に出るが、その時には馬鈴薯を幾ら焼いて食べても良い。また、飯盒で煮て食べる事もあった。空き腹に不味いもの無しとは言うが、実に美味しいジャガイモであった。土質が砂である事と、寒冷地である事とで此処のカルトーシカは本当に美味しい。私には帰ってからの北海道旅行の時に食べたものに劣らぬ味だった。とは言うが、その頃は何を食べても不味いものは無かった筈である。二日患仕事をするので、夜はジャガイモと添い寝だった。警備兵は外から鍵を掛け、自分は何処かへ遊びに行く。中の私達は毛布もなく余り寒いので用意して置いた石油缶で火を焚く。雑談をしたり、芋を焼いたりして過ごし、朝まで仕事など全然しなかった。倉庫のカルトーシカも寒かろうと一緒に温まることにした。
仕事は適当だし、食べるのは食べ放題だから、徹夜作業(と言っても夜中は適当に寝る)にも拘らず、この仕事は志望者が、目の色を変えて争うほどであった。
 
つづく