満州にて終戦を迎え シベリアに抑留されました。 辛い日々を如何に生きるかが人生の参考になれば良いかと想います。
  異  聞  抑  留  記 NO 17
平成 7年              著者   江藤 一市
 
1.終戦 2.苦難の町 3.虱駆除 4.医療天国 5.炭坑
6.平原の歌声 7.炭坑の女 8.小野軍曹 9.収容所の楽しみ 10.アウトロー
11.班を作る 12.アクモリンスク 13.補充食糧 14.MTC生活 15.可愛い妹
16.特異体験 17.偽の診察 18.金鉱i石採掘 19.魚釣り作業 20.食糧が無い
21.特異体験 22.ジョロンベッドの街 23.ダワイとダモイ 24.帰国命令 25.ナホトカ収容所

翌日朝食後のこと、他の人は炊事場の後片付け、警備の二人は隊員を仕事先に送って行ってまだ帰っていなかった。つまり食堂にマダムと二人切りだった訳である。「イッジィ・シュダー」(こっちに来て)と隣り合わせの倉庫に誘い込まれた。ギィーツと大きな扉が閉められた。相当に大きな食糧倉庫(スクラート)で、小麦の50〓入りの麻袋が、ぎっしりと敷き詰められていた。彼女はその上に横たわると、「さあ、診て」と診察を促す。さあ、慌てたのは私。まさかこんな辞退に経ちいたろうとは予期もせぬことで、昨日の返事も適当にあしらった心算だったのに・・・。然し事ここに至っては為す術も無い。肚を括るより致し方無かった。その後の数分間はここに書くわけにはいかぬが、食堂に帰ってからトーリヤは「どうだ、判ったか?」と訊ねた。私に判るわけなど無いのだが、彼女の話を綜合して考えると、自覚症状があるのだから多分間違いないだろうと推察して、「うん、間だ日が浅いから確実とは言えないが、多分そうだろう。もう二カ月もすればはっきりする」と答えた。二カ月後と言えば、もう私たちは引き上げてここには居ないのだからと言う安心感も手伝ってそう答えたのだったが、彼女はそのまま引き下がらなかった。「それでは困るのだ。もう二カ月もすれば夫が帰ってくるので、何とか子供を堕おろす方法を教えてくれ。何かそんな薬は無いか?。合ったらお金は幾らでも出す。お前の言う通りになるから是非薬を呉れ」と迫ってきた。幾ら考えても無茶な話である。旧軍隊から引き継いだ薬に、子供を堕ろす薬なんて有る訳が無い。日本の伝承薬の話を知らぬでもなかったが、そんな材料など入手は全く不可能。どう仕様もない。兎に角「二三日したら、本部に薬品受領に帰るから、その時捜してみる」と、一時逃れでその場を凌いだ。
それから数日後、本部に薬を取りに帰った。昔の上官軍医に会って、峻下剤を貰って帰った。この薬は現在ではどう呼ばれているか知らないが、当時は「甘汞錠」と呼ばれ、水銀化合物を含む劇薬で、「サントニン」等の虫下しと併用される強烈な下剤だった。この下剤を彼女に渡す時こう言った。「「この薬はとても激しい薬である。これを飲むと激しい下痢に襲われ、お腹にあるものは総て体外に出して仕舞う。恐らくその時にお腹の子供も出るだろう」と説明して二錠を渡した。(通常の使用は一錠なのだが・・・)。激しい下痢が、流産を惹起すると言うのは丸々の嘘ではないが、確実性は疑わしい。兎にも角にも窮余の一策、当面の苦境は脱した。翌日会った時、彼女は激しい下痢に憔悴し切っている様子だったが、それでも私の言った事を信じ切っている風だった。薬の効果は覿面の下痢だったが、彼女の本来の目的は達せられたかどうか?その段階では確かめる術もなかった。どうか成功していれば良いがと私も念じたものだった。その後、彼女が提供しようとしたその事に対しての謝礼は、固く辞退したことは、私の名誉にかけて断言しておく。
それから十日程もしてから、全員本部に引き上げることになった。その前夜二十人程の村人が、集まって「お別れ会」を開いてくれた。皆が持ち寄った料理を食べ、そして特別にマダムが出してくれた「ウォッカ」に酔う者も居た。食堂のマダム、ドイツ系の母娘、カントーラ(事務所)の女事務員、そしてあの老婆もドーチカと一緒になって歌い踊った。私は妹のように可愛がったドーチカが、首にぶら下がり頬にキスしながら流した、真珠のような涙は一生忘れ得ぬ想い出である。
翌日朝食後のこと、他の人は炊事場の後片付け、警備の二人は隊員を仕事先に送って行ってまだ帰っていなかった。つまり食堂にマダムと二人切りだった訳である。「イッジィ・シュダー」(こっちに来て)と隣り合わせの倉庫に誘い込まれた。ギィーツと大きな扉が閉められた。相当に大きな食糧倉庫(スクラート)で、小麦の50〓入りの麻袋が、ぎっしりと敷き詰められていた。彼女はその上に横たわると、「さあ、診て」と診察を促す。さあ、慌てたのは私。まさかこんな辞退に経ちいたろうとは予期もせぬことで、昨日の返事も適当にあしらった心算だったのに・・・。然し事ここに至っては為す術も無い。肚を括るより致し方無かった。その後の数分間はここに書くわけにはいかぬが、食堂に帰ってからトーリヤは「どうだ、判ったか?」と訊ねた。私に判るわけなど無いのだが、彼女の話を綜合して考えると、自覚症状があるのだから多分間違いないだろうと推察して、「うん、間だ日が浅いから確実とは言えないが、多分そうだろう。もう二カ月もすればはっきりする」と答えた。二カ月後と言えば、もう私たちは引き上げてここには居ないのだからと言う安心感も手伝ってそう答えたのだったが、彼女はそのまま引き下がらなかった。「それでは困るのだ。もう二カ月もすれば夫が帰ってくるので、何とか子供を堕おろす方法を教えてくれ。何かそんな薬は無いか?。合ったらお金は幾らでも出す。お前の言う通りになるから是非薬を呉れ」と迫ってきた。幾ら考えても無茶な話である。旧軍隊から引き継いだ薬に、子供を堕ろす薬なんて有る訳が無い。日本の伝承薬の話を知らぬでもなかったが、そんな材料など入手は全く不可能。どう仕様もない。兎に角「二三日したら、本部に薬品受領に帰るから、その時捜してみる」と、一時逃れでその場を凌いだ。
それから数日後、本部に薬を取りに帰った。昔の上官軍医に会って、峻下剤を貰って帰った。この薬は現在ではどう呼ばれているか知らないが、当時は「甘汞錠」と呼ばれ、水銀化合物を含む劇薬で、「サントニン」等の虫下しと併用される強烈な下剤だった。この下剤を彼女に渡す時こう言った。「「この薬はとても激しい薬である。これを飲むと激しい下痢に襲われ、お腹にあるものは総て体外に出して仕舞う。恐らくその時にお腹の子供も出るだろう」と説明して二錠を渡した。(通常の使用は一錠なのだが・・・)。激しい下痢が、流産を惹起すると言うのは丸々の嘘ではないが、確実性は疑わしい。兎にも角にも窮余の一策、当面の苦境は脱した。翌日会った時、彼女は激しい下痢に憔悴し切っている様子だったが、それでも私の言った事を信じ切っている風だった。薬の効果は覿面の下痢だったが、彼女の本来の目的は達せられたかどうか?その段階では確かめる術もなかった。どうか成功していれば良いがと私も念じたものだった。その後、彼女が提供しようとしたその事に対しての謝礼は、固く辞退したことは、私の名誉にかけて断言しておく。
それから十日程もしてから、全員本部に引き上げることになった。その前夜二十人程の村人が、集まって「お別れ会」を開いてくれた。皆が持ち寄った料理を食べ、そして特別にマダムが出してくれた「ウォッカ」に酔う者も居た。食堂のマダム、ドイツ系の母娘、カントーラ(事務所)の女事務員、そしてあの老婆もドーチカと一緒になって歌い踊った。私は妹のように可愛がったドーチカが、首にぶら下がり頬にキスしながら流した、真珠のような涙は一生忘れ得ぬ想い出である。

つづき