満州にて終戦を迎え シベリアに抑留されました。 辛い日々を如何に生きるかが人生の参考になれば良いかと想います。
  異  聞  抑  留  記 NO 19
平成 7年              著者   江藤 一市
 
1.終戦 2.苦難の町 3.虱駆除 4.医療天国 5.炭坑
6.平原の歌声 7.炭坑の女 8.小野軍曹 9.収容所の楽しみ 10.アウトロー
11.班を作る 12.アクモリンスク 13.補充食糧 14.MTC生活 15.可愛い妹
16.特異体験 17.偽の診察 18.金鉱i石採掘 19.魚釣り作業 20.食糧が無い
21.特異体験 22.ジョロンベッドの街 23.ダワイとダモイ 24.帰国命令 25.ナホトカ収容所

『魚捕り作業に派遣』
三年間余りの抑留生活の中での、苦しかった事、辛かった事は成る可く省いて、面白かった事、楽しかった想い出だけを綴ってきた抑留記であるが、最悪の一カ月を過ごしたことがあった。この抑留記も終わりに近い此処になって、処のことを記そうかどうしようかと随分迷った。然し抑留の期間中、全部が全部良い事ばかりでは無かった事を知って頂く意味で記すことにした。
それはアクモリンスクに来て二カ月くらい経った頃のことであった。十三人で一グループを組んで、或る湖に魚捕りに行くことになった。私以外の十二人というのが、各隊の持て余し者、殆ど懲罰隊の経験があると言う桁外れの悪ばかり・・・。お断わりしておきますが、私は違いますよ!ちゃんと、通訳兼衛生係と言う肩書き付きでしたから・・・。と言っても、それは名ばかりで、皆と一緒に仕事はさせられたのですから。
収容所から200〓程(乗車時間からの推定なので確実ではないが)離れたこの湖は、周囲40〓程の細長い湖で、最も幅の広い所でも対岸まで2〓位。水深は一番深い所でも1.5〓程度。(湖の所々で舟を繋留する竿を立てるので水深が判る)湖と言うより大きな水溜まりと言う感じ。冬期には雪解けで増水するのだろうが、私達の行った夏期に水が涸れて仕舞わないのが不思議。何処か私達の知らない所に湧き水でもあるのかも知れない。何しろ滞在した一カ月に雨はたった一回、それも半日、話では一年に五六回しか降らないとの事だった。その話をしてくれたのは、私達の小屋から10〓程離れた所に、同じように魚捕りに来ていた男女十人ほどの地方人グループの一人だった。
水際から20b程の岸辺に我々の住居があった。住居と言っても、屋根も茅葺き、四方の壁も茅を束ねて作ってあるお粗末な小屋で、広さは十五畳位はあるだろう。入り口の直ぐ横に、金属製のベッドが一つ(警備兵用)。真ん中に1b程の通路があり、部屋一杯に茅を敷き詰め、三方から真ん中に足を向けて寝るのである。夏だから良いようなものの冬期にはとても住める所ではない。


『最悪のメンバー』
この魚捕りに来た連中は、今迄の作業で組んだメンバーの中で最悪の連中であった。殆どがボゴンバイの金坑に居た者達であるが、不良分子として放逐された面々であった。この連中のボスにKと言うN県出身の、私と同じ十五年徴集の男が居た。元兵長の此の男が、炊事係として糧食、炊事の一切を取り仕切っていた。
(此の男一人だけが魚捕りの作業に出なかった)。そして我々と同行して来たミハイルと言うチィチェン人の警備兵が居たが、此が又最悪の男。此もボゴンバイから来た組みで、今迄に出会ったことの無い程に、粗暴、凶悪な警備兵だった。炊事係のKは、此処に来る前からこのミハイルと知り合いであり、以前から食べ物などで懐柔してあったらしく、とても仲が良かった。勿論此処に来ても皆の食糧を、ミハイルと自分の腹心三人のために特別献立など作って、適当に処理する。然し誰も見て見ぬ振り。なぜなら、Kの性質を以前から熟知しているからだ。狡猾で陰険、しかも凶暴と来ている。どんな報復を受けるか知れないからだ。況して此処ではミハイルの後ろ楯があるのだからどんな横車でも押せる。一度だけその事に就いて、異議を唱えた男が居たが、外に呼び出され、Kと三人の腹心とに、半殺しの目に会わされ、三日ほど寝込んだ事があった。その時もミハイルは知らん顔。Kはボゴンバイ時代からずっと炊事係をやっていた関係で、警備兵等との交流もあり、ロシヤ語も割と良く話す。ところが、彼は私を目の敵にする。相性が悪いと言うか、馬が合わぬと言うのか、兎に角私を嫌う。勿論私も彼に対して好感を抱いた事は一度も無かった。彼が私を嫌う理由は、〓同年兵だが、私が元下士官である事、彼は万年上等兵だったのが、終戦のどさくさに紛れて進級した即製兵長だったので、多分に僻みを持っていた。〓私に通訳と言う肩書きが有る事。俺だってロシヤ語を話せると言う自負心。だから私の言うことには事毎に難癖を着けた。私がそれを無視するので余計拗れる。〓ミハイルと色々自分達の都合の良い話をする時、私が傍に居ると言葉が判るので儘にならないからであった。

『魚捕り作業』
さてその魚取りと言うのが、朝は四時半起床。夜の明けるのを待って舟を出す。六人ずつ乗った舟二艘を並べて漕ぎ出す。500bも沖合に出てから、右左と全然反対の方向に積んでいる綱を伸ばしながら漕ぐ。その綱の中央部には、幅1.5b位で、下部に錘のついた長さ50bの網がある。つまり夫々の舟から伸ばした100bの綱、その中央に50bの網、計250bが直線に伸びるわけである。次に舟を少し近づけるように漕ぎ、100b位に近づけた所で一旦止め、繋留用の竿を立てる。錨の代わりである。その竿に舟を繋いで、舟の上の轆轤で綱を巻き、網を次第に引き寄せる。そして舟と直線近くなったら、綱を伸ばして舟を漕ぐ。又舟を近づけて綱を巻く。此を繰り返し、三回目には舟をくっつけて綱を巻き、中央の袋状になった網を舟に引き上げる。大体一回に60〓から100〓、一番多かった時は一度に250〓を揚げた事があった。一回網を引くのに二時間程度かかる。朝第一回の網を引いてから帰って朝食、そして午前中にもう一回、午後二回引く。余り沢山揚がった時は二回目は引かずに、舟の上で昼寝をして帰ることもあった。捕れた魚はワイン樽のような樽に入れて、水際においておけば、トラックが集めに来る。何れ、国営の工場で干物か塩漬けになるのであろう。
魚の種類はシュルカと呼ぶ雷魚に似た鋭い歯を持った魚で、大きさは5・60aだが、時には1b以上のものも揚がる。カラシと呼ぶ鯉と鮒の合いの子みたいなのもいる。こちらは3・40b位、大きいのは60b位なのも居る。他にも数種類居るが、何しく曳く網の目が粗く、自動車の偽装網みたいなものだから、小さい魚は皆網の目を潜って逃げて仕舞う。味の方はシュルカは全く不味い。それに比べるとカラシの方は頗る美味であった。殊に抱卵期の真子は飛びっ切り旨かった。Kや取り巻き連は、よく刺身に作って食べていたが、私は食べる気がしなかった。伝染病と寄生虫が怖かったので・・・。


つづく