満州にて終戦を迎え シベリアに抑留されました。 辛い日々を如何に生きるかが人生の参考になれば良いかと想います。
  異  聞  抑  留  記 NO 2
平成 7年              著者   江藤 一市
1.終戦 2.苦難の町 3.虱駆除 4.医療天国 5.炭坑
6.平原の歌声 7.炭坑の女 8.小野軍曹 9.収容所の楽しみ 10.アウトロー
11.班を作る 12.アクモリンスク 13.補充食糧 14.MTC生活 15.可愛い妹
16.特異体験 17.偽の診察 18.金鉱i石採掘 19.魚釣り作業 20.食糧が無い
21.特異体験 22.ジョロンベッドの街 23.ダワイとダモイ 24.帰国命令 25.ナホトカ収容所

 【ブラゴエでの椿事】【一瞬大逆転】

 最初に踏んだソ連極東では大都会の内に入るブラゴエシチェンスク。満州のハイラル、ハルピンのロシヤ人街とは又違う、本当のロシヤの町と言う感じはする。
 建物はがっしりとしていて大きいが、芸術とか、叙情とかには程遠い古い街並みであった。渡船から荷物の陸揚げが終わると、、私達は渡船場の直ぐ近くのアパート風の建物の前の道路で休憩した。窓が開いて年若いソ連人の女が三人、私達の方を眺めている。
 「キャッ、キャッ」とふざけて、笑いながら何か喋っているが、話は判る訳がない。その内に三人とも家から出てきた。歳の頃は十八九だろうか、髪の色は、ブロンドが一人、ブラウンが二人、三人ともロシヤ人らしく色白で結構可愛い顔をしている。 
 敵意とか警戒心など全然持っていないらしく、握手を求めた兵隊に、にこやかな笑顔で応じていた。
 もう何ヶ月も、女らしい女を見ることの無かった兵隊達。皆まだ二十代前半の若さ、胸を躍らせようが、頭に血が上ろうが無理もない話である。言葉は全然通じないが身振り手振りで、水が欲しいと訴えた者が居た。
 一人が走って帰ると、小さいバケツに入れた水とコップを持って来た。兵隊も喜んだが、娘達も結構楽しそうに笑い合っている。その裡に誰かが柄ものの風呂敷を取り出した。人絹のペラペラだが、赤、青の色だけは美しい。それを水のお礼のつもりで差し出した。
 こちらの意思が通じたらしく、彼女は大喜びで受け取ったが、他の二人が納まらない。ルーブル紙幣をヒラヒラさせ、何か売ってくれとせがむ。言葉は通じないが、恐らくそういうことだろう身振りから察しられた。


 【惜しいことを】

 その内に三人の中の一人が、兵隊の持っている小型の腕時計に目を止めた。
大体時計などは、ソ連警備兵の目に着いたが最後、即座に強奪されるので、普段は絶対身に付けない。何処か奥深くに隠して置くのだが、娘達に見せたかったのだろう腕に巻いていたのである。
 娘は時計を指差して懸命に何かを言う。言葉は解からなくてもそれを欲しがっているのは判る。兵隊はにやにや笑って「駄目、ダメ」と言う意味で首を何回も横に振った。その内に娘は不思議なゼスチュアーを始めた。向こうの建物の方を指差して手招きするのである。 手招きと言っても日本とは逆で掌を上向けて指を動かす。どうやらあちらに行こうと言う意味らしい。そして今度は、左の指五本を軽く握って拳を作り、その親指と人差し指で環になっているところを、右の掌で上から二三回、たたくような、押さえるような撫でるような仕種を何度も、何度も繰り返す。何人も集まって考えるがどうしても解からない。
 そこへ丁度同じ隊の小野元軍曹が来た。彼はハイラルの軍司令部で情報室勤務をしていたのでロシヤ語が少し解かる。《この男に関しては面白い話があるのだが、後述する事にする》彼に尋ねて貰った。「時計が欲しいんですよ。
 こんな小型の時計は見たことが無いので、是非欲しいと言ってますよ」と小野君は笑いながら言った。それは別に通訳して貰わなくても大体は判っている。
 その後の身振り手振りの事を聞いてくれと言うと、彼はぎこちないロシヤ語で娘に質問した。彼女は前と同じ動作を繰り返しながら喋った。今度は小野君が大声で笑い出した。しかし彼女は真剣な顔をして喋り続けた。
 丁度その時だった。マンドリン(自動小銃)を肩にかけた警備兵二人がやってきた。娘達はそれを見付けると、空になったバケツを提げ、さっと建物の方へ走り去った。
 警備兵が立ち去った後で、娘の言った事を小野君が皆に告げた。途端に大爆笑が起こった。そして『しまった!惜しいことをした』『残念!早く判っていたらなぁ』と悔しがる事しきり。読んでいる方には大凡の状況は察しが付く事でしょう・・・。
 然し、入ソして最初のこの出来事で受けた、ソ連女性に対する第一印象は、余り狂いのなかった事は、その後の数々の出来事で証明されたように思う。


 【帰還に疑念】

 ブラゴエシチェンスクを出発したのは、十月二十二日だった。『さあこれで浦塩(ウラジオストック)に向かうんだ。そしてニッポンの船に乗るんだと祖国への帰還を信じ、期待に胸を膨らませた。
 だがその帰還に疑念を抱かせたのは乗車して二日目の朝だった。「おい少し変だぞ!この汽車は西に向かっているぞ!」と、誰かが言い出した。成程朝日が、列車の後ろから上がっている。確かに西に向かって走っているのは間違いない。
 然し「列車が迂回しているのかも知れない」共話した。しかし一日中走って、翌朝も朝日は矢張り後ろから・・・。まさかシベリヤの太陽は西から上るのではあるまい。こうなったら列車は進行方向を西にとっていることに間違いはあるまいと話し合った。
 そしてこの列車がウラジオに向かっているのではない事がはっきり判ったのは、その日の午後、途中停車の時だった。例の如く殆ど全員が下車して用を足している時だった。相変わらずマンドリンを肩に掛けた警備兵が、あちこちと歩き回っていた。
 もう満州以来の長い道中なので、行動を共にしている警戒兵の中には顔馴染みも出来ていた。 ウズベックとかタタールとカザックとかの、東洋人種系ソ連兵は、皮膚の色も同じだし、顔立ちもよく似ているので、ある種の親しみを覚えるものだった。
 彼等もまた多少はそんな気持ちがあったらしく、人当たりも柔らかだし、言葉が通じないので身振り手振りで意思の疎通を図ろうとしているのが良く判った。煙草を遣ったり貰ったり、時には黒パンを持ってきたりしたものだった。

 【天国らら地獄】

 その警備兵の一人に『この汽車は何時ウラジオに着くのか?』と身振り手振りで尋ねた。すると彼は頭を横に賦って『ニェィト、ニェィト』と言うばかり。更に重ねて聞くと『カラカンダ』とか『ウーゴリ』とか言う。
 何を言っているのかさっぱり判らないので、一人が通訳を呼びに走った。入隊前、神戸でロシヤ人経営の洋服屋に居たと言う部隊唯一人の通訳がやって来た。そしてその通訳の口から思いも掛けぬ言葉が飛び出した。
 『この汽車はウラジオ行きではない。カザクスタンのカラカンダと言う炭坑のある町へ行く。そしてお前達は其処で石炭掘りをやるのだ』とのこと。まさか冗談や出鱈目ではあるまい。
 それは瞬く間に部隊全員に広がり大騒ぎとなった。天国から地獄へ急転直下とはこのことか。あちこちに集まってては評定、然しどう騒いでもどうなるものでもない。
 群がっている連中を見つけると、直ぐ監視兵が駆けつけて追い立てる。少しでも反抗の気配でも見せ用ものなら、容赦もなく空へ向けて威嚇射撃「ダダダダッダダツ」とすごい音。弾薬不足で極端に無駄弾を打たせなかった日本と違って、ソ連兵は一向お構いなし。
 鳥が飛んでいても、野犬を見つけても直ぐにに打っ放す。なす術も無く銃に追い立てられて乗車するより他なかった。


【苦難のドラマの序曲】 

 十月のシベリヤはもう九州の真冬よりもっと寒い。用意してあった防寒被服が渡された。乗車した九月はまだ暑かったのに、防寒被服を積み込んだのを不審に思わなかったのは、唯一途に帰国することだけに心を奪われ、そんなことを考えてもみなかったのは、迂闊と言えばそうだったかも知れない。
奉天を出てから彼此二ヶ月、目的地のカラカンダに到着したのは、十一月も二十日頃だった。当たり一面の銀世界だった。約一ヶ月のシベリヤ鉄道の旅で、この国の想像もつかない広さをつくづく思い知らされた。走っていても、二、三百キロ置きに、石炭と水の補給所はあるが、幾つかの大都会以外では、途中で人家らしいものは稀にしか見ない。駅らしい駅を通過するのは一日に一度か二度。唯草原と森林の中をひた走る。


【初めてのバイカル湖】


 一度などは朝目が覚めると、汽車が水辺を走っている。遙かな水平線には汽船の浮かんでいるのが見える。オヤッ、海に出たのかなと思ったがそうでなかった。
 巨大な湖であった。一日中その回りを走り日が暮れた。翌朝目覚めたらやっぱり同じような光景。何と湖を半周したのだった。警備兵が、バイカル湖だと教えてくれた。
 (現在では中央部に橋が架けられていると聞いた)着いたのは、カザフ共和国(旧称)で、日本に帰るより、ネパールを越えてインドの方が近い位の遠隔の地。
 全部が全部そうではないだろうが、我々の行った辺りは一帯が砂漠。(と言っても、アフリカや、アラビヤの砂漠とは違い、夏になると少しくらいは草も生えるが、樹木は全く無い)。原紙爆弾の実験に使われているような荒涼たる僻地であった。


カラカンダで初めてのショック

 愈々カラカンダに着いて下車、駅前の巨大倉庫の何棟かに分れて宿泊と言うことになった。薄暗い裸電球の下で、防寒被服の儘毛布に包まって夜を明かした。ところがこの倉庫の中で実に異様な光景を目撃した。詳しいことを書くのは憚られるが、生まれて初めての体験だったので仰天、物も言えないほどのショックだった。女、それも十七八と見られる娘が警備の兵隊に会いに来たのである。話している模様から、以前からの知り合いでもないらしいが、かと言って、職業の女とも見えない。実に不思議な光景であった。然し、ずっと後になって、色々な経験から割り出して、それはこちらの国民性・民族性かとも思えるようになった。

 
つづく