満州にて終戦を迎え シベリアに抑留されました。 辛い日々を如何に生きるかが人生の参考になれば良いかと想います。
  異  聞  抑  留  記 NO 7
平成 7年              著者   江藤 一市
1.終戦 2.苦難の町 3.虱駆除 4.医療天国 5.炭坑
6.平原の歌声 7.炭坑の女 8.小野軍曹 9.収容所の楽しみ 10.アウトロー
11.班を作る 12.アクモリンスク 13.補充食糧 14.MTC生活 15.可愛い妹
16.特異体験 17.偽の診察 18.金鉱i石採掘 19.魚釣り作業 20.食糧が無い
21.特異体験 22.ジョロンベッドの街 23.ダワイとダモイ 24.帰国命令 25.ナホトカ収容所
 【ポンプ小屋の天使】
炭坑の女達(ポンプ小屋の天使) ジョロンベッド炭坑(シャフト)の中では、鶴嘴で石炭を掘っている女性は見かけなかった。[別に法律で禁止されているのではあるまい。他の作業所では見かけたのだから・・・]。石油(ケラシン)ランプの整備、管理。水揚げポンプの運転、監視。浴場(バーニヤ)係。地上の雑役。等に就いていた。何れも純粋なスラブ系のロシヤ人でなく、ウクライナとかウズベックその他西の方からの流刑者が多かった。戦時中、まだドイツが各地に侵攻していた頃、現地の人が、ドイツ兵に水を持って行って遣ったとか、品物のやりとりをしたとか、一寸好意を示したとか、ほんの些細な事でも罪を負わされ、こちらの方へ流されて来た人達ばかりだった。家族はばらばら、両親は極東のほうに流されていると言う18歳のマルーシャ、結婚間もない夫はウラルの山中に強制連行されたと言う23歳のワーリヤ、夫も子供二人も行方は全く判らないと言う48歳になるニィメッツ系のガーリヤ。いずれも夫々に悲しい身の上を持つ女達であった。然し生来くよくよしない性分なのか、それとも民族性か、又は諦め切っているのか、割と朗らかで、実にさばさばしている。その悲しい過去を話すときでも左程落ち込む事もなく淡々と話すのだった。坑道の入り口、昇降機の発着地点附近は、割合に広く、ランプ小屋、工具倉庫(インスルメント.スクラート)、発電機室、ポンプ室、と各個の小屋がある。個のポンプ室にいるのが18歳のマルーシャ、もう少女とは言えない完熟白桃である。



ウクライナで親子五人、農業を営んで何不自由なく過ごしていたのだが、戦時中、兄・姉は軍隊に入り、親子三人となっていたが、独ソ戦の時、何か敵国に協力したとかせぬとかで両親逮捕、16歳の彼女も見も知らぬ地へ強制移送された。この国で一番卑劣な、そして怖いのが密告制度で、若干の報賞金に釣られて、有る事、無い事、例え隣人でも密告する。するとろくろく調査もせずに直ぐ犯罪者として処罰が決まる。風の噂では両親は極東の方へ送られ、鉄道関係の工事に従事しているとか・・・。彼女自身も罪人として各地を転々とすること三回やっと去年このジョロンベッドの炭坑に定着。少しばかり上手く立ち回って、凡夫室勤務と言う条件の良い仕事に就くことが出来たのである。顔は南欧系のはっきりした顔立ちで、髪はブラウン、瞳は夢見るような碧眼、肌色は幾分東洋系が入っているのかスラブ系のそれ程白くはない。何しく、明るく、優しく、そして情熱的なので、私達の中では格別の人気を持っていた。私は、ちょいちょい偽の腹痛を起こしたりして、ポンプ室で休憩させて貰ったものだった。「どうしたんだ?どこが痛いんだ?」と聞くが、どうやらこちらの仮病は承知の模様、くすくす笑いながら「オゥ、チョールトイ」(わるい人)などと言う。こちらはサボるのが目的、マッセルの方は都合良く言いくるめてあるので、ゆっくりマルーシャを相手に雑談しながらロシヤ語の勉強をしておれば良いのだった。或る時友達から無理を言って譲り受けた鏡をプレゼントした事があった。奇麗な花模様の小さな布袋に入った10cm×6cm位な鏡で、良くもまあ今迄隠し持っていたものだと感心する程だった。それを私が3kgのパンと交換して手に入れたものだが、それを渡した時の彼女の喜び様は一通りではなかった・・・

◎炭坑の女達(バーニヤマダム) 辛い炭坑作業だが、一日を気持ち良く働けるのも、終わってからの疲れをすっかり忘れさせてくれるのも、バーニヤマダムだった。バーニヤには小盗児(ショートル)マダムと観音様とカーチャの三人の女が、一日勤務で交替して働いていた。小盗児(ショートル)とは満州語で「こそ泥」と言う意味。トーリヤと言うこの女には少々盗癖が有った。バーニヤマダムの仕事は、私達が坑内に入る時に着るスペーツ(作業衣)の管理と、私達が着て来た衣服とか持ち物の監視、及び部屋の掃除、整頓が主な任務であった。トーリヤは純粋なロシヤ人でない事は判ったが何人なのか見分けが付かなかった。(当時聞いた話ではソ連には60以上の民族が居ると言われていた)。後で聞いたらチチェン人との事だった。理由は良く知らないが、チチェン人は他の人種の人達に軽蔑されている様に思えた。故郷を持たぬジプシー(流浪者)が多いとの事だった。年齢は50歳を過ぎた位で、何時もにこにこして、気立ては優しそうだったが、彼女がバーニヤの日直に就くと、必ず誰かのムイロ(石鹸)が紛失する。5cm立法位の小さい真っ黒な粗雑な物だが、それでも一個有れば三回くらいは使える。或いは金が失くなる。初めの頃はマダムが盗むなどとは誰も想像しなかったが、何度も何度も紛失事件が起こるに従って、この女か仕業だと気がついた。然し盗む現場を見た者が居ないので咎めるわけにも行かず、皆で話し合って、トーリヤの日直の日は、所持して来た金、小物、石鹸など皆持って坑内に入るようにした。その事を除けば、実に優しい女で、私達が汚れたスペーツを脱ぎ散らかして帰っても、別に文句も言わず、一つ一つ衣料掛けにかける。スペーツが無いと言えば部屋の隅々まで探してくれる。私達に対して何一つ煩く言う事もなく、親切に振舞ってくれる。その悪い癖さえなければ私達にとっては申し分ないバーニヤマダムなのだが・・・。

観音様と呼ばれるアンナは、呼び名の様に奇麗で、性質も優しい30歳前後のウクライナ人。ここに勤めるようになって日も浅いせいか、私達の言うようにしてくれる。勿論盗癖も無いので、彼女の日直の日は何も心配なく、外套も貴重品も石鹸もバーニヤに置いて安心して坑内に入る。坑内から上がってくると、彼女は眠っているような細い目の笑顔で迎えてくれる。誰からか教わったのだろう「ゴクローサン」と言いながら・・・。もう一人のマダム・カチューシャ(カーチャと呼ぶ)は22・3歳位で、かなり勝ち気な、そして娼婦型の女で、総ての点でだらしない。私達がスペーツが無い、手袋が無いと騒ぎ出すと、「お前達の置場所が悪いんだ」とか「ちゃんと後始末しないからだ」とか凄い剣幕できんきん声を上げる。そしてそこらに在るスペーツを放り出す。その中からどうにか見つけ出して、後の残りをその儘にでもして置こうものなら、甲高い声を上げて「片付けろ!」と喚く。知らぬ振りをしていると、近くに居る誰をでも掴まえて、どうしても片付けさせようとする。捕まった者は「俺は知らん」と言って逃げる。次の者を掴まえる。また逃げる。皆は面白がって囃す。皆結構楽しんでいるようようだ。最後には皆を押し出すようにして外に出してしまう。坑内から上がって来ても、スペーツは散らかした儘、掃除した模様も見えぬ。ペーチカだけは勢い良く燃えていて、側の長椅子に寝そべっている。時には鼾をかいて寝込んでいる事もあるが、私達がバーニヤに入る為に全部脱いで横を通る。どうかすると起き上がってにやにやしながら眺めている。何となく気色の悪い感じさえするくらいだった。作業中に頭痛がするからと途中でバーニヤに帰ってきた兵隊が、片隅の長椅子の上で警備の兵隊と抱き合い、扉の開いたのにも気がつかず、聞くに耐えない呻き声を上げている彼女を見たと言うのを聞いた。

つづく