満州にて終戦を迎え シベリアに抑留されました。 辛い日々を如何に生きるかが人生の参考になれば良いかと想います。
  異  聞  抑  留  記 NO 8
平成 7年              著者   江藤 一市
1.終戦 2.苦難の町 3.虱駆除 4.医療天国 5.炭坑
6.平原の歌声 7.炭坑の女 8.小野軍曹 9.収容所の楽しみ 10.アウトロー
11.班を作る 12.アクモリンスク 13.補充食糧 14.MTC生活 15.可愛い妹
16.特異体験 17.偽の診察 18.金鉱i石採掘 19.魚釣り作業 20.食糧が無い
21.特異体験 22.ジョロンベッドの街 23.ダワイとダモイ 24.帰国命令 25.ナホトカ収容所

【志願で入隊】
小野元軍曹 前回一寸名前の出た小野元軍曹に就いて少し書いてみる。終戦半年ほど前、チチハルで第13軍直属の遊撃隊(俗に言う挺身切込隊)を編成の為、基幹要員養成教育が行なわれた。北満の各部隊から派遣された将校、下士官、兵100名程で教育隊が作られた。私はあちこちと転属の末、ハロンアルシャンの部隊からこの教育隊に派遣された。そこで偶然邂逅したのが小野君である。彼は私より一年先輩で、私がハイラルに入隊した時にはもう二年兵で隣の中隊に居たが、志願兵だったので年齢は私の方が二つ上だった。彼は同年兵の中でも最優秀で先発で任官。私と別れた時にはもう軍曹に進級、拔擢されて軍司令部の情報室勤務をしていた。ところが教育隊で出会った彼は二つ星、一等兵だった。私はどう言う事かと目を疑った。彼は大分県出身で、私の故郷と余り離れていないし、私の同級生が彼の親友でもあったりして、話も合い仲良くしていたものだった。

【酒呑みの失敗?】
その彼が何故一等兵?何日かして夕食後、彼が医務室に遊びに来た。(衛生部の下士官は全員医務室に起居していた)そして事の顛末を聞いた。昭和19年4月頃の事。彼はある軍事機密の重要書類を受領の為15km程離れた陣地(その頃はハイラル周辺の警備の為、塹壕等を掘り陣地を構築して部隊が駐屯していた)に向かった。陣地迄行くには坂道が多いので、彼は馬車(マーチョ)に乗った。少し楽をしたいばかりに小遣い銭を割いて無理をして馬車に乗ったのが一代の大失敗だった。尤もそれには別の下心も有ったのは事実。馬車に乗って時間を捻出して、帰りに市中の軍酒保に立ち寄り、一杯やる心算だったらしい。考えてみると公用外出で公務の途中、飲酒などとは以ての外だが、少々軍紀も緩んでいたらしい。途中酒保の前で降り、中に入った。酒を註文して待っている間にふっと気が付いて、肩に掛けていた図嚢を開いた。何とした事だ。中に入れた筈の重要書類の封筒が無い。『しまった!』と思ったがもう遅い。乗ってきた馬車は何処かへ立ち去った後である。良く考えてみると、乗車して一度その封筒を取り出したのは覚えている。中をそっと見ようと思ったが厳重な封緘なのでそれは不可能。その時に図嚢の中に戻したのか、それとも一旦座席に置いたのかをはっきり覚えていない。然し現に図嚢に入っていないと言うことは、間違いなく座席に忘れたのだろう。彼は顔色を失い、目を血走らせて酒保を飛び出した。そして市中の知ってるだけの馬車の溜まり場を走り回って探した。然しどれもこれも似た様な服装、同じ様な顔つき、向こうから声でも掛けてくれなければ見分けるのは難しい。どうする事も出来ない。仕方なく帰って有りの儘を上官に報告するより他無かった。もう久しく忘れていたビンタをみっちり味わった。そして営倉入り、更にその失態は上に報告されたので、軍機保護法違反か何かの罪で、軍法会議に掛けられ、陸軍軍曹の階級は、一等兵に降等、三カ月の禁錮刑に処せられた。《この書類は憲兵隊の捜索、調査の結果、軍の方へ戻ったとの事であったが、一旦地方人の手に渡ったのであるから、披見の虞れもありとして免罪にはならなかった》衛戍監獄の厳しさ、苦しさ、辛さは並大抵のものではなかったとしみじみ話していた。

【大食いの掛け】
彼は情報室勤務をしていた関係で、少々なロシヤ語は理解出来た。然しそれを公然とは言わなかった。憲兵、警察官などがソ連側から白眼視されるのを知っていたから、軍隊時代に特務機関などのように情報蒐集に携わっていたと判ったら唯では済まないと考えていたからである。彼がアナールの収容所には入ってから、黒パン3kgが1時間で食えるかと言う賭けに挑戦した事が有った。アナール収容所には、イワンとシュリゲと言う二人の一日交替でジジョルネ(日直将校)に就くロシヤ人将校が居た。収容所には他にも人事係、営繕係、倉庫係、ドクトル、政治部員その他にも数名のソ連人が居たが、この二人が私達と接触する機会が最も多く、結構日本語も習得していたので親しみ深かった。ナチャイリニク(収容所長)アルロフは五十歳前後の恰幅の良いロシヤ人で、非常に厳格であった。収容所の職員達でさえピリピリしている程だった。イワンもシュリゲも二十五、六歳のリチネント(中尉)で、陰になり、日向になって我々をナチャイリニク・アルロフから庇ってくれたものだった
【将校のプライド】
或る日曜日の事だった。夫々将棋を差したり、碁を打ったり、花札に興じたりと夫々自由時間を楽しんでいた。私達五、六人で輪になって雑談をしている所へイワンがぶらりと入って来た。日曜なので所内には彼の他誰も職員は居ない。私達の話はいつもと同じ食べ物の話。3kgのパンが1時間居ないに食べれるか?と言う話になった。イワンがその話を聞いて『よし!誰か食べる者が居たら、俺が50ルーブル出そう』と言い出した。『よし、俺が食おう。もし食えなかったら俺が50ルーブル払おう』と応じたのが他ならぬ小野君だった。彼なりの自信は有ったろうし、又彼の健啖ぶりは定評のあるところだった。然し黒パンの3kgと言えば容易な量ではない。幅約12、3cm、高さ15cm位、長さ25cmはあろう。常人ではとても食べ切れる量ではない。彼は余程の自信が有ったのだろう、首に提げている巾着袋の中から50ルーブル紙幣を取り出すと、皺を伸ばし、イワンの出してある紙幣の上に重ねぐっと押さえた。皆は、面白くなったぞ!と将棋や碁で遊んでいた連中も中止して集まってきた。使いの者が炊事場に行って、イワンの名前で黒パン3kgを受け取ってきた。岩塩の砕いたものと水が用意され、炊事から借りてきた包丁でパンを五つに切り分けた。イワンが持っていた時計を置くと愈々パンを食べ始めた。初めの一つは大して時間もかけずに平らげると、水も飲まずに直ぐ次に手を伸ばした。然し半分位から段々ペースが落ち始め、50分経った頃には、盛んに首を振ったり、胸を叩いたりし始めた。さあ目分量で2kgも食べた頃、小野君は『もう駄目!負けた!』と後ろの寝台に引っ繰り返った。イワンは大声で笑うと「ヘーイ、スパシーボ」(やあ、有り難う)と、100ルーブルをポケットに入れた。《この後で喜多少尉は、黒パン500grとバター500grを30分以内に食べるのに100ルーブルを賭けて見事に勝ち100ルーブルを取り返した。然しその賭金は、翌日イワンと小野君に50ルーブルずつ返したとの事だった》【腐っても鯛。例え捕虜になっても、陸軍将校として賭事などは・・、と言うプライドは亡くしていない立派な人でした】。

つづく