更新
2004
 6.27

「礼記」は「五経」の一つで、周末から漢代に至る古礼についての儒者の説を集録したものです。 漢代にすでに編述されていた古礼二百十四篇を戴徳(たいとく)が削って八十五篇にしたものを「大戴礼(だたいれ)」と言い、戴徳(たいとく)の甥で戴聖(たいせい)がさらに削って「曲礼(きょくれい)」「壇弓(だんぐう)」「礼運(れいうん)」などの四十九篇からなる「小戴礼(しょうたいれい)」をつくりました。 この「小戴礼」が今日の「礼記」でして、礼に関する理論および実際を記録編集したもので、当時の社会・制度・習俗を知る書であり経文であり経文そのものでないのです。

 この「礼記」を現代に照らし合わせ、私(可福)が、削って削って削ってドスコイ痩せ細ったのが、「可福礼」と洒落ました。

 では、可福礼の始まり始まり。


楽しみは極むべからず。

「楽不v可v極。」 (曲礼上)

 楽しみはその果てまで尽くすべきでない。快楽を求める心は、限りのないものであり、その極には、倦怠と絶望が待っている。

志は満たしむべからず。

「志不v可v満。」 (曲礼上)

 すべてのことについて、完全に満足のいくまで求めるという考えは捨てなければならない。欲望は限りなく進むものだから、限度が必要である。

礼は節を踰(こ)えず。

「禮不v踰v節。」 (曲礼上)

 礼儀は節度を越えてはいけない。鄭重がよいといっても、度を超えた丁寧は、むしろへつらいに近くなり、ときには失礼にさえなる。

愛して而も其の悪を知り、憎んで而も其の善を知る。

「愛而知其悪、憎而知其善。」(曲礼上)

 たとえ自分があいしている人でも、その人に悪があれば、その悪を見抜かなくてはならない、反対に憎んでる人でも、その人の行いに善があるならば、その善は認めなければならない。つまり、愛憎の感情で、判断を狂わせてはならない。

尊客(そんかく)の前には、狗(いぬ)をも叱せず。

「尊客之前、不v叱v狗。」(曲礼上)

 身分の高い客の前にいては、犬でも叱ってはいけない。まして、妻や子供を激しく叱るなどは、決してなすべきことでない。それは客に不愉快な気分をおこさせるからである。

礼儀は人の大端(だいたん)なり。

「禮議也者、人之大端也。」(禮運)

 礼儀は、人の最も大切なものである。

仁は楽(がく)に近く、義は礼に近し。

「仁近於楽、義近於禮。」(楽記)

 仁の性格は音楽に近く、義の性格は礼に近い。つまり仁は情を主とし、音楽は和を主とするからである。また、義は裁制を主とし、礼は節度を主とするからである。 それゆえ、礼楽は教育のもとであると同時に、仁義に通じる人間の根本である。