にんげんばんじさいおうがうま

 中国の古いお話です。
 北方の異民族の国境都市に、占いの上手な老人が住んでいましたが、馬が胡地に逃げてしまっても悲しがらない。 良い方にかわるかもしれないからと。 すると馬が胡の良馬を連れて帰ってきた。 それを聞いて人がお祝いにきても、これがわざわいに転じないとはいえないという挨拶を返した。
 はたして、胡の良馬に乗った老人の息子が落馬して足を折ってしまった。ところが「これが幸福になることもありましょう」と一向に平気である。果たして戦争になって、町の若者は十人中九人まで戦死したが、老人の息子は足が悪いお陰で命びろいした。と言う、中国古典の『淮南子(えなんじ)』の人間訓のお話です。
 すなわち、人生のことはなにが吉となり凶となるか、はかりがたいことで、運命がどうなるかわからない、先のこは予測できない、といったことを言うときに使う。言葉です。


ちょうさんぼし
宋の国に狙公(しょこう)という人がいた。狙(しょ)とは猿のことである。
 彼は、その名のごとく猿好きで、猿をたくさん飼っていたが、費用がかさんでやりきれなくなり、餌を減らすことにして、猿どもにむかってこういった。
 「お前たちにやるドングリをこれかれは朝3つ、暮れに4つということにする」
 これをきいて猿どもはみな怒りだした。 そこで狙公(しょこう)が、「それじゃ、朝に4つ、暮れに3つにしよう」というと、猿どもは納得したと言う、中国古典の『列子』からの話しです。
詐術をもって人を愚弄する意味に用いられるようになった。

       しかいけいてい
みなさんご存じの孔子さんの弟子に司馬牛(しばぎゅう)と言う人が居ました。司馬牛の 実の兄は孔子を殺そうとしたほどの悪人で、司馬牛はこんな兄をもったのを悲しみ、「人間にはみんな兄弟あるけど、自分だけには兄弟と呼べるような者がなくて、たった一人です」と言った。
すると孔子の高弟子の子夏(しか)が、「君子たるもの、他人に対して尊敬の念を失わず、礼ををつくすならば、四海の内、みな兄弟というものだ」と慰めた。(「論語」『顔淵篇』)。 四海兄弟=天下の中の人はみな兄弟でと言う意味