孫子から

  「陥之死地而後生」

これを死地(しち)に陥(おとしい)れて然(しか)る後(のち)に生(い)


「兵士を死地に投入してこそ、活路が開ける。」とのこと、絶対絶命のピンチに遭遇すれば、命令せずとも全力で努力するに違いない。
 呉の国と越の国は非常に仲が悪かったが、あるとき呉の国の住人と越の国の住人が同じ舟に乗り合わせ嵐に遭遇し舟が沈みそうになる。
仲が悪い同士が一致協力して危機脱したと言う話は「呉越同舟」として有名だが、仲が悪いもの同士が同じテーブルに着く意味ではなく、どんな状況でも、ピンチに逢ったら力を発揮することを説明したのが「呉越同舟」だった。


  「百戦百勝非善之善者也」

百戦(ひゃくせん)百勝(ひゃくしょう)は善(ぜん)の善(ぜん)なるものに非(あら)

「中国は広い国で天下をとるにも武力だけで抑え込めない国でした。優秀なリーダーは戦わずして勝つ方法を考えざるをえなかったのです。
戦を起こせばたとえ勝ったとしても味方も血を流す、
相手を屈伏させても憎しみが残り、情勢いかんでは反旗を翻してくるかわからない。
このような状況で、百戦百勝することより、戦わずして済む、(外交交渉による相手の意図を封じ込む)(謀略活動による内部からの崩壊)などの手があります。
惨めな勝利より賢明な敗北の方がましな場合もあります。(先の太平洋戦でも日本が勝っていたら、平和は遠かったかも知れません)


  「其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山」

(そ)の疾(はや)きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し

武田信玄の旗印で知られている「風林火山」ですが、孫子は作戦行動における「動」と「静」の対比として、重要視していました。
攻める時は風の様に素早く、敵陣に侵攻するときは火の様に勢いよく、攻撃を中断するときは林のように静かに機会を待ち、また守勢になったときは山の様に動かない。
信玄は軽挙妄動を戒めています。「孫子」から兵法や哲学を学び、強い騎馬軍団を作ったのでしょう。