陸軍特別攻撃隊     九九式双軽爆撃機    隊長 岩本益臣 大尉
                                            鉾田教導師団(師団長 今西六郎中将)編成

氏名 出身 役割  特        記
隊長 岩本益臣 大尉 福岡出身 陸士五三期 操縦 11/5  撃墜され戦死
園田芳巳 中尉 佐賀出身 23 陸士五五期 操縦 11/5  撃墜され戦死
安藤 浩 中尉 京都出身 23 陸士五六期 操縦 11/5  撃墜され戦死
川島 孝 中尉 神奈川出身 22 陸士五六期 操縦 11/5  撃墜され戦死
田中逸夫 曹長 福岡出身 26 操縦 11/12 輸送船突撃 戦死   轟沈
社本 忍 軍曹 愛知出身 25 操縦 11/3   敵の爆撃負傷する
石渡俊行 軍曹 千葉出身 20 操縦 11/15 撃墜され戦死 10日前空襲で負傷していた。
鵜沢邦夫 軍曹 千葉出身 21 操縦 12/20 出撃 未帰還 戦死
久保昌昭 軍曹 大分出身 20 操縦 11/12 戦艦に突入失敗 戦死
近藤行雄 伍長 朝鮮出身 22 操縦 11/15 撃墜さて戦死
奥原英彦 伍長 長野出身 22 操縦 11/25 敵爆撃にて戦死
佐々木友次伍長 北海道出身 21 操縦
中川勝巳 少尉 通信係 出川曹長の代わりで、転任 11/5撃墜 重傷
浜崎  曹長 通信係
生田  曹長  通信係 11/12 輸送船突撃 戦死   轟沈(田中機同乗)
花田  伍長  通信係
整備班
班長 村崎正則 少尉 他10名

          藤本 曹長 ・ 林  伍長 ・ 樋谷 伍長 ・ 仁平 伍長 ・ 古川 伍長 ・ 川端 伍長

          軍属 ( 柴田  野村  上野  遠藤 )

  編隊は3機で1編隊とし、通信係りは編隊長機に同乗するため4名となる、また、任務完了まで飛行機の整備班が同行することとなる。 

  下士官たちは、特攻に行くことを知らされていなかったが通信班の生田曹長・出川曹長は大本営や航空本部の暗号内容を知ることが
 出来た。
 出川曹長は病気と通信班の中川勝巳少尉に訴えた、事情は分かっていたが自分が代わって行くことにした。

   戦  歴         

昭和年月日             記        事
19.10.4 航空総監部から双軽体当たり部隊編成の内示。 師団長 今西六郎中将受諾 
19.10.13  鉾田教導飛行師団長 今西六郎少将(昭和199月から)は航空総監部に編成の打ち合わせした。 師団長は全員志願するものと考え、操縦士の名簿を航空総監部に送った。   将校の人事は師団長では発令できない
19.10.18  一号作戦発令 軽爆・重爆の特攻隊が出動する事が決まった
19.10.20 編成の命令  鉾田の飛行場に機首に死の触覚を持った九九双軽が三機着いた。
19.10.21 岩本大尉以下24名は第四航空軍に配属隊員の発表
19.10.22 航空総監代理と師団長今西六郎少将の訓示を受け鉾田飛行場を出発 
       編隊長機 岩本 大尉(操縦)中川 少尉(通信)村崎 少尉(整備)
      二番機 園田 中尉(操縦)生田 曹長(通信)林  伍長(整備)

         三番機 安藤 中尉(操縦)浜崎 曹長(通信)仁平 伍長(整備)
                  立川飛行場によりフィリピンに輸送する資材受け取りに寄る。      そのは他は川島 中尉を編隊長として一式双発三機に分乗し、各務ヶ原飛行場に飛び特攻改装機を受け取る
19.10.23 試験飛行もしてない飛行機はおおくの故障を発生した
19.20.24

各務ヶ原飛行場から便乗した第一航空技術研究所の阿部千代次少佐から特攻改造機である説明を受け、隊員は自分達が特攻であると知る

19.10.26 鵜沢邦夫軍曹機故障のため出発出来ず、雁ノ巣出発の時も故障している。整備担当の藤本 曹長 は不審を抱く。隊動はリパ飛行場に向かう
19.10.27

鵜沢邦夫 軍曹機リンガエンの海岸に不時着し火傷をして病院に収容。  同乗の整備2名は無事であった。  隊の移動はリパ飛行場に到着

19.10.29 リパから空襲の最中、岩本大尉は自分の機で冨永軍司令官に申告に行く
19.10.30 岩本大尉の独断で爆弾を投下できるように改造した、また操縦者には爆撃方法と敵戦闘機がきたら逃げろと指導し、全飛行場の位地図を配り「出撃しても爆弾を命中させて帰ってこい」と胸の内をうちあけた
19.11.4 マニラ四航空軍司令部において佐藤参謀と打ち合わせ命令。                          この時期に無謀な飛行計画(直線で90Km九九双軽で二十分足らず)
19.11.5 隊長以下将校は園田中尉の操縦に同乗し、マニラに出発した、しかしマニラに空襲にきていたグラマンF6F二機に追われ機銃にうたれ撃墜した。貫通銃創されるも見事な胴体着陸をやってのけた
  隊長 岩本益臣大尉 操縦士 ・園田芳巳中尉 操縦士・安藤 浩中尉 操縦士・川島 孝中尉 操縦士が死亡  中川勝巳 少尉 通信士 重傷 特別攻撃隊の将校が死傷した。                              リパ飛行場に空襲で隊員浜崎曹長・石渡軍曹が負傷し、整備の藤原雇用員戦死 特攻機二機が破壊せれた
19.11.6 戦死者火葬の時、社本忍軍曹火傷して入院
19.11.8 リパからカローカン飛行場に移った。   村崎少尉が隊長代理として、第四飛行師団の指揮を受けた
19.11.10 万朶隊は冨永軍司令管に呼ばれ司令部に行いき、「最後に一機で俺も行く」と励ましを言れた。
19.11.11 四航軍から「レイテ湾の敵艦船に必殺攻撃を実施すべし」の命令
19.11.12  戦場誘導百式偵察機一機 及び 戦闘隊「隼」二十機に続き
   
一番機 田中曹長(操縦)岩本大尉の霊 生田曹長(通信)中川中尉の霊
         一番機は敵輸送船に体当たりし、掩護戦闘機の渡辺伍長も同船に体当たり轟沈
            二番機  久保曹長(操縦)園田中尉の霊
         二番機は戦艦の舷側すれすれに突入 撃墜

     三番機 奥原伍長(操縦)安藤中尉の霊
          三番機エンジン不調で引き返す
   四番機 佐々木伍長(操縦)川島中尉の霊 爆撃失敗ミンダナオ島カガヤンに不時着避難
         四番機は戦艦に突入を報告されていた。         
19.11.13 四番機佐々木伍長(操縦)はルソン島カローカン飛行場着陸戻った
19.11.15 二回目レイテ湾の敵艦船に必殺攻撃を実施  掩護戦闘機「隼」八機 第二〇戦隊大里大尉隊長
 発進直後敵機来襲 四番機着陸・三番機着陸・掩護戦闘機八機着陸した。 攻撃中止
      一番機 石渡軍曹(操縦)安藤中尉の霊     一番機と百式司偵戻らず
      二番機 近藤伍長(操縦)川島中尉の霊   二番機墜落確認
      三番機 奥原伍長(操縦)
    
四番機 佐々木伍長(操縦)
19.11.25 第三回目レイテ湾の敵艦船に必殺攻撃を実施  掩護戦闘機「隼」八機  作見一郎中尉隊
  出発直前 敵機来襲 敵機動部隊に先手を取られる 特攻機燃える奥原伍長爆撃にて戦死
        一番機 奥原伍長(操縦)    二番機 佐々木伍長(操縦)
19.11.28 第四回目レイテ湾の敵艦船に必殺攻撃を実施   掩護戦闘機「隼」六機  第二〇戦隊
  誘導に当たっていた隊長機がレイテ湾直前で方向転換したので引き返した
 戦闘隊では佐々木に同情てきであり、レイテ湾敵発見できずと報告

     特攻機 佐々木伍長(操縦)
19.12.4 第五回目レイテ湾の敵艦船に必殺攻撃を実施 掩護戦闘機「隼」二機出撃  有川中尉・佐藤曹長
  敵艦見える敵機コルセアに囲まれ、さらにP381個編隊現れ有川中尉空中戦後燃料漏れ着地 佐藤曹長行方不明 佐々木 ネグロス島のバコロド飛行場に不時着     特攻機 佐々木伍長(操縦)
19.12.5 バコロドからカローカンに移動直後 第六回目レイテ湾の敵艦船に必殺攻撃出撃命令
 特攻鉄心隊(九九襲撃機)三機に付いて行け

   特攻鉄心隊松井中尉隊長(九九襲撃機)三機250Kg爆弾

   特攻機 佐々木伍長(操縦)九九双軽   500Kg爆弾

           掩護戦闘機「隼」九機出撃 
   佐々木伍長(操縦)九九双軽は爆撃大型船を撃沈し、カガヤン飛行場に
着陸
19.12.9  佐々木伍長(操縦)九九双軽 カローカンに戻る途中燃料不足で村落近傍に胴体着陸
19.12.14 ネグロス島パナイ島付近敵艦船80隻余りを攻撃七回目出撃
      菊水隊隊長 丸山義正大尉 第九五戦隊第二中隊長 (百式重爆)

                              (第九五戦隊七機 各五名 と 第七四戦隊二機 各七名)
         特攻機 佐々木伍長 と 掩護戦闘機「隼」三機  出撃
      
菊水隊敵戦闘機交戦 未帰還・特攻機 佐々木伍長は滑走路から飛び出し出撃できず
19.12.16

ミンドロ島上陸作戦中艦船の攻撃 八回目出撃
      旭光隊 丸山芳夫軍曹 他一名   二機

      特攻機 佐々木伍長 

19.12.18 ミンドロ島上陸作戦中艦船の攻撃九回目出撃
     第三十戦隊特攻機 二機・ 四式戦闘機 三十八機 クラーク

          佐々木伍長 と 鉄心隊二機が出撃 カローカンから出撃
        燃料系故障のためカローカンに戻る
    鵜沢軍曹 野戦病院から退院
19.12.20 ミンドロ島上陸作戦中艦船の攻撃十回目出撃
         鵜沢軍曹 と若桜隊 三機 と掩護戦闘機一機 出撃 
         鵜沢軍曹戻らず
19.12.30 整備隊は撤退し第四航空軍の陸戦要員となる。  
20.1.8 カローカン飛行場大隊撤退 タヤバス山系内の陣地に立てこもり
    万朶隊生存者 整備 村崎少尉 整備隊指揮(以下11名)
              整備 藤本曹長 
              雇員 四名     柴田・上野・野村・遠藤(負傷)
              通信(特攻)   浜崎曹長(安藤中尉機)・花田伍長(川島中尉機)
              操縦(特攻)   佐々木伍長 ・社本軍曹(負傷) 
       攻撃隊長機に通信手が同乗し突入を基地に連絡するが下士官だけになり浜崎が上級者となり       通信は乗らないときめた。
   操縦者は北部ルソンに集結エチャーゲに行け 
20.1.23 陸軍省発表「万朶飛行隊陸軍軍曹石渡俊行以下二名に対し南方方面軍陸軍最高司令官より感状を授与」
佐々木エチャーゲにつく
20.1.24 地区司令部に申告に行き、猿渡参謀長に「生きておったのか師団の面汚し」と言われる。
20.2.2 操縦者優先の台湾行きの便に死んだ事になっている佐々木伍長に証明が出ない。
 戦況が悪化して、操縦者の消耗が激しい時に経験豊富な操縦者をないがしろにしていた。
20.2.8 佐々木の故郷北海道では、英雄化され勲章の伝達式が行われた。
20.4 エチャーゲ南飛行場の集成飛行隊で試験飛行操縦士をする。
 ポンコツ飛行機の部品を集めて、飛行機を作りその試験飛行をする危ない仕事
20.10 フィリピンで降伏した日本軍の中で「特攻隊員は死刑になる」噂が流れた

   ア〜ア特攻隊

      昭和十九年十一月十二日に特別攻撃隊「万朶隊」が大戦果を上げたことにして、大本営は発表してしまった。そのため佐々木伍長は、
     特攻軍神として戦死扱いになってしまう。
   特攻が中央に報告した後に戻ってきた隊員は、軍司令官の面汚しとして扱われた。
     
    司令部では、面子を重んじて人の命を軽く考えていたため、戦死報告の取り消しはできなかった。

    上申取り消しできないのは天皇陛下に報告することで、天皇陛下にうそを言ったことになると考えたからです。

    足の遅い爆撃機で敵の戦闘機がいるところに重い爆弾をもって行くのですから、成功
する確立は大変低いものでした。
     まして、戦艦を轟沈することができるはず有りません。(エントツから爆弾が入り火薬に火がつき誘爆した場合は轟沈するかも)

     しかし、こんな特攻をさせる前に戦争を終わらせる方法はなかったのでしょうか。数百の艦船に数十機の飛行機で何ができるのでしょう。
     日本には負けぷりのいい武将が大勢いましたが、昭和初期将軍は不作ですね。

     負けたときは、領民や家来を助けるために腹をきる将軍が居たでしょうか 、特攻隊員は無駄と知りつつ国のため家族のために実行して
     たのでしょうね戦争が終わると、特攻隊員は死刑だなんて自分の国のものから言われるのです。情けないですね
 
     兵隊は自分で戦争や〜めたはできないですから、将軍達がミッドウェイで負けた時点で投了(やめた)しないと大事な人材をうしなうことになり、
     ますよね。 軍閣政権は嫌ですねまわりが見えなくなるのですよ。