四式重爆(飛竜)キ−六七 隊長 西尾常三郎少佐 
              
浜松教導飛行師団    師団長 川上清志少将  
             浜松教導飛行師団重爆撃機の特攻隊を編成した 
                   富嶽隊(六七重爆)特攻用改造副操縦席および機関砲を外し爆弾余分に積み込んだ
                 67重爆は800Kg爆弾搭載だが、体当たり機は爆弾倉に800Kg1本と操縦席後ろ通路にも
           1本爆発させるための電信管を機首に突き出させた、そして、爆弾投下器をはずしてある。
            後尾銃座はベニヤ板でつぶしてある複操縦席も無線器も取り外してある。

出撃回数

隊長  操縦 西尾 常三郎少佐 東京出身 五十期 11/13 撃墜 戦死
操縦 根木 基夫 中尉 愛知出身 五五期 1/12  未帰還
曾我 邦夫 中尉 東京出身 五五期 11/13不時着 負傷 1/10 未帰還
石川 廣  中 大阪出身 五六期 12/16未帰還
山本 達夫 中尉 高知出身 五六期 11/7 未帰還
国重 武夫 准尉 山口 出身 11/13 撃墜 戦死
伊藤    曹長     2/1 フィリピン撤退輸送任務    台湾に戻る
古沢 幸紀 曹長 熊本出身 12/16 未帰還
幸保 英治 曹長 千葉出身 11/15 行方不明
矢野      曹長 2/1 フィリピン撤退輸送任務       台湾に戻る 
西田      曹長  1/9  着陸失敗 軽傷     ?
航法 柴田 禎男 少尉 東京出身 11/13 撃墜 戦死(西尾機同乗)
通信 米津 芳太郎少尉 静岡出身 11/13 撃墜 戦死(西尾機同乗)
多賀部   准尉 1/16  マルコット撤退のとき行方不明
本谷 友雄 曹長 石川出身

12/16 未帰還(石川機同乗)

丸山 茂雄 伍長 愛知出身 12/16 未帰還(古沢機同乗)

宇田 富福 伍長

広島出身 1/12  未帰還(根本機同乗)
機関 進藤 浩康 大尉 11/13隊長代理・1/12 未帰還(根本機同乗)
前原 弘一 中尉 11/13不時着 負傷       ? 1/31 台湾に戻る
森山    准尉 新潟 出身

   2/1 フィリピン撤退輸送任務   台湾に戻る

島村 信夫 准尉 大分 出身

11/13 撃墜 戦死(国重機同乗)

岩佐    准尉 1/9 着陸失敗 重傷(西田機同乗)
浦田 六郎 軍曹 大阪出身 11/7  未帰還(山本機同乗)
荘司 楠一 曹長 三重出身 11/13 撃墜 戦死(西尾機同乗)

梨子田   曹長

  2/1 フィリピン撤退輸送任務    台湾に戻る
須永 義次 軍曹 栃木出身 11/15 行方不明(幸保機同乗)

   戦   歴

昭和年月日
19.2 浜松教導飛行師団では陸軍初の雷撃隊第九十八戦隊(六七重爆)隊長 高橋太郎少佐
三〇機を編成し鹿屋に送った。
19.10.20 アメリカ軍のフィリピン四航軍のマルコット飛行場に空襲
19.10.24 航空本部の命令 南方派遣部隊の命令が来たが搭乗機がまだ来てないので慰労及び基地から離しておくため西尾少佐以下将校を浅間温泉に休養させた。
第三航空技術研究所の九九双軽や六七重爆の改造を担当した桐生大尉が説明に来た
19.10.25 飛行隊長大西中佐から第四航軍司令部配属特攻任務であることを将校達に説明
19.10.26 参謀総長梅津中将が富嶽隊を命名し・参謀総長代理・菅原航空総監が命名出陣式を行い浜松飛行場を出発。 幸保曹長機は故障のため高松に不時着し翌朝に新田原飛行場で合流9機は新田原飛行場まで移動した。 師団副官高橋中尉が便乗し師団長からの激励伝言
19.10.27

沖縄付近で国重准尉機エンジンカバーが吹き飛び沖縄海軍基地の那覇飛行場に編隊長機と着陸
  第二編隊操縦根木中尉・無線多賀部准尉・機関森山准尉であった。

   古沢曹長機は台北の桃園飛行場に不時着し破損し全員負傷した。

19.10.28 台湾の嘉義の飛行場に集合し、全機整備。 古沢曹長機破損のため八機出発したが、ルソン島マルコット飛行場に到着したのは六機であった。  第四飛行師団あずかりとなる
  根木基夫 中尉機・石川 廣 中尉機は不調のため引き返した。
19.10.29   根木大尉機(多賀部准尉・森山准尉)と石川中尉機(本谷曹長)到着
19.10.31 技術将校の阿部少佐から特攻機の説明をうける
19.11.1 隊長他五名で申告に行く「最後の一機で体当たりする決意」と四航軍 冨永軍司令官が言う。
    フィリピンに来てから特攻に機関係や通信手の搭乗がきまる。
19.11.2 寺田参謀長が来て二六名記念撮影をする
19.11.4 クラーク地区に敵の空襲 富嶽隊二機少破
19.11.6 四航軍の重原参謀から出撃命令「ルソン島東方海上の機動部隊」
19.11.7     第一編隊 一番機 西尾少佐(操縦)柴田少尉(航法)米津少尉(無線)
                悪天候の為敵艦を発見できず帰還 
        二番機 山本中尉(操縦)浦田軍曹(機関)
                  他機とはぐれ帰還したが脚も出ず遅れを取ったと思いこみレイテに             向かい未帰還となる。(無線を積んでいない為)
   第二編隊 三番機 石川中尉(操縦)本谷曹長(無線)
                 悪天候の為敵艦を発見できずリンガエン飛行場に着陸
        四番機 會我中尉(操縦)前原中尉(機関)
            四番機故障(ピッチレバー不良接続線が焼けている)出撃できず。
        五番機 国重准尉(操縦)島村准尉(機関)
            悪天候の為敵艦を発見できず帰還
 
19.11.9 富嶽隊は四航軍冨永軍司令官に呼ばれマニラの司令部に行った
19.11.11 出撃命令「ルソン島東方海上の機動部隊」
19.11.12 第一編隊 一番機 西尾少佐(操縦)柴田少尉(航法)米津少尉(無線)荘司曹長(機関)
       二番機 国重准尉(操縦)島村准尉(機関)
     三番機 伊藤曹長(操縦)梨子田曹長(機関)
第二編隊 四番機 會我中尉(操縦)前原中尉(機関)本谷曹長(無線)
     五番機 幸保曹長(操縦)須永軍曹(機関)
           全機出撃 敵艦隊発見できずマルコット飛行場に帰還
19.11.13

 第三回目の出撃 「ルソン島東方海上の機動部隊」昨日の編成
   戦果報告及び誘導は第一〇二戦隊百式司偵二機同行
          一番機は艦載機20機及び対空砲火のため6000m上空で撃墜
                西尾少佐(操縦)柴田少尉(航法)米津少尉(無線)荘司曹長(機関)
          二番機は海面に撃墜
           国重准尉(操縦)島村准尉(機関)

               三番機エンジン不調のため帰還
          四番機ラモン湾海岸に不時着し、三人は負傷した
          五番機暗くて目標が捕らえられず、クラーク中飛行場に着陸
 整備の進藤大尉が隊長代理になる
            

19.11.15

第四回目の出撃 「ルソン島東方海上の機動部隊」
     一番機 根木中尉(操縦)宇田伍長(通信)梨子田曹長(機関)
           敵艦隊発見できずマルコット飛行場に帰還
       二番機 幸保曹長(操縦)須永軍曹(機関)
           未帰還
       三番機 古沢曹長(操縦)森山准尉(機関)
           敵艦隊発見できずマルコット飛行場に帰還
 

19.11.18 寺内南方軍最高司令官からの感状がある(13日戦死者)が荘司曹長(機関)がこの名誉から抜けているのはなぜでしょう
19.11.24 改装爆撃機四機補給
19.11.25

第五回目の出撃 「ルソン島東方海上の機動部隊」
     一番機 根木中尉(操縦)多賀部准尉(通信)
     二番機 古沢曹長(操縦)森山准尉(機関)
     三番機 伊藤曹長(操縦)梨子田曹長(機関)
                敵艦隊発見できずマルコット飛行場に帰還

19.12.3 第六回目の出撃 パラオ海域敵艦船に必殺攻撃発見出来ない場合海岸強行着陸せよ
    一番機 西田軍曹(操縦)本谷曹長(通信)會我中尉隊長(航法)岩佐准尉(機関)

    二番機 伊藤曹長(操縦)梨子田曹長(機関)宇田伍長(通信)

           サーマル島付近敵
P38の妨害に合いクラークに引き返す
19.12.13

第七回目の出撃 ミンダナオ島カガヤン沖敵艦船に必殺攻撃
    一番機 根木中尉隊長(操縦)多賀部准尉(通信)
    二番機 矢野曹長(操縦)森山准尉(機関)
             船団発見できず引き返す 

19.12.16

第八回目の出撃 ルソン島東方機動部隊艦船に必殺攻撃 四式重爆
      一番機 石川中尉隊長(操縦)本谷曹長(無線)
      二番機 古沢曹長(操縦)丸山軍曹(無線)
               撃墜される
第九回目の出撃 ルソン島東方機動部隊艦船に必殺攻撃 四式重爆
    一番機 根木中尉隊長(操縦)多賀部准尉(通信)
    二番機 矢野曹長(操縦)森山准尉(機関)
           船団発見できず引き返す

19.12.28

訓練飛行中の事故で墜落     矢野曹長(操縦)森山准尉(機関)入院

20.1.9

第十回目 リンガエン湾攻撃 戦艦5巡洋4駆逐13輸送70揚陸30
      一番機 伊藤曹長(操縦) 梨子田曹長(機関) 800kg二個
    二番機 曾我大尉(操縦) 多賀部准尉
(通信)
          暗闇の中、艦船のレーダに見付かり対空砲火で突っ込めず帰還
    三番機 西田曹長(操縦) 岩佐准尉(機関)
           ツゲガラオ飛行場に着陸失敗大破し西田曹長は軽傷・岩佐准尉は重傷
          暗夜悪天候の中山岳地帯の上空を発進地から3倍の距離途中で離脱

20.1.10

第十一回目 リンガエン湾攻撃
     一番機 曾我大尉 (操縦)曾我大尉は爆弾の安全針は発進前に自分で抜くから、
         一緒に死ぬ意味が 多賀部准尉にないと降りろ命令した為単独操縦となった
         未帰還(爆弾の安全針が無いので帰還不可能)
     二番機 伊藤曹長(操縦) 梨子田曹長(機関) 800kg二個
         敵艦隊を発見するが、P38に見つかりクラーク基地中飛行場に避難破損
         徒歩でマルコット飛行場に帰る

20.1.11

第十二回目 リンガエン湾攻撃
  最後の一番機 根本大尉(操縦) 梨子田曹長(機関) 宇田伍長(通信) 
800kg二個
            通信の宇田は最後の特攻を明らかにするために乗る
            離陸直後エンジン停止不時着 梨子田曹長大怪我

20.1.12 第十三回目 リンガエン湾攻撃 
  最後の一番機 根本大尉(操縦) 進藤大尉(機関) 宇田伍長(通信) 
800kg二個 
         
第十一回目出撃でクラーク基地中飛行場で破損した207号を修復した
             石川中尉の遺骨と梨子田の飼ていた子犬のクロが同乗した
 地上部隊目撃「リンガエン湾沿岸を大型機が低空にて浸入し、大爆発が起こりました」
20.1.15 マルコット飛行大隊はクラーク西方の山に隠れ、米軍上陸部隊はクラークに向かう
20.1.16

小銃の無い残留隊と富嶽隊は竹槍を武器としエチャーゲに向う 多賀部准尉(通信)行方不明

20.1.24 ヨンボン食料を探し探しの撤退行軍・クラーク南飛行場の病院に逃げていた前原中尉と合流
20.1.27 エチャーゲに到着後直ぐ、台湾空輸基地ツゲガラオ南飛行場に至急行けと命令
20.1.28 ツゲガラオにいる空中勤務を優先的に台湾に返し、ルソン島と空輸飛行につかう
20.1.31

重爆操縦の腕利きの伊藤と前原は海軍の九六陸攻に便乗し台湾に行き、夜に九七重爆で迎えに来た  森山・矢野・梨子田は台湾に戻る

20.2.1 1青木集団に帰還の申告し、特別攻撃隊の富嶽隊伊藤・森山・矢野・梨子田はツゲガラオ
に人員救助の命令が下り輸送任務を行う事になる

  志願していなかった特攻隊
         特攻隊は出撃してから戻ってこれた

 前原は第三回目の攻撃で會我中尉機に同乗し、不時着後に會我中尉・本谷曹長と共に入院したが、復帰
せず、部隊が撤退後原隊に復帰し台湾に渡るや否や姿を消した。(どのように解釈したらよいのか)

陸軍特別攻撃隊の富嶽隊は重爆撃の特攻隊として浜松教導飛行師団(飛行学校)での編成された。
 19年二月に陸軍初の雷撃隊第九十八戦隊(六七重爆)隊長 高橋太郎少佐三〇機を編成し鹿屋に送った後の編成で南方派遣部隊の編成として人選され特攻を志願したのでは無いの様です。

 まして、下士官達は出発直前まで特攻隊で有ることを知らなかったし、機関砲まで外した特攻機に機関
(整備)が乗ることもその時まで聞かされていなかった。

当初から、爆撃機での体当たりには、操縦性・速度などから無理が有ったことは航空関係者は分かっていましたが、参謀本部・航空総監・航空本部が計画を進めました。
 戦争指導者(首相・陸軍大臣など閣僚・参謀本部・航空総監・航空本部)などは七割決戦しかないと判断し、捷号作戦を決行するのです。
 七割決戦とは国力の七割で敵に決戦を挑み(戦艦一隻と飛行機一機)の消耗戦を行い、敵に大打撃を
与えた後に和睦しよう、残り三割で本土決戦の準備をしようてことでしょうか

特攻隊の編成には、命令という形をとらない原則になっていた(軍の命令はすべて天皇陛下の命令とされていたからです)特攻は人道的に命令できないわけで志願でなければならないのです。
 ですから、参謀本部は現場サイドの軍(師団)などに直接特攻命令は出せない訳で、航空総監管轄の飛行学校
を教導飛行師団と言う軍団に改編し優秀な操縦者教官を特攻として現地の軍隊に送り込みました。

 未来が有っての操縦者養成学校ですが、この決戦で後がない教導飛行師団では師団長は人選を迫られ
南方派遣部隊として人選したのが陸軍初の特攻隊(重爆特攻の富嶽隊・軽爆特攻の万朶隊)でした。

優秀な操縦者教官たちの富嶽隊や万朶隊が突撃したときは、大本営は過大戦果を一般市民に放送し、軍神に奉りあげ、特攻隊の志願者が出易いようにし向けたのです。
 重爆特攻の富嶽隊の特攻出撃回数一三回の内未帰還機八機そのうち体当たりに成功したもの一機?の結果で有った。

大本営は第三回目出撃の時の戦果を 我が特別攻撃隊、富嶽飛行隊は11月13日夕、ルソン島東方の敵機
動部隊を攻撃し、戦艦1隻を轟沈せり。本攻撃に参加せる者、次の如し。
陸軍少佐 西尾常三郎・同少尉柴田禎男・同 米津芳太郎・同准尉国重武夫・同 島村信夫
二、別に同飛行体の陸軍中尉石川広、同伍長宇田富福搭乗の一機は、ルソン島東方の敵機動部隊を攻撃し、敵艦
に体当たりせるものと認むるも、戦果を確認するに到らず。とでたらめを放送してしている。

 戦意高揚を目的としているため特攻隊は戦艦を轟沈した、体当たりした誰でもいい訳です。

 人材・物資は適材適所で使われて生き甲斐がある、国の為・家族のために自分の意志に反した特攻作戦
に参加した人たちの冥福を祈る。  悪い世の中を作らないためにも勇気有る行動が大切です。