南方進攻作戦

昭和十六年(1941)は大東亜戦争の前、日本の軍力が最も上昇した時であった。すでに四年間も中国で戦争を続けたにも拘わらず、兵力は増強された。
 アメリカの対日ガソリン輸出禁止(経済封鎖)により日本は戦わずして屈するか、立つか二者一択を迫られた。
当時、日本の陸軍は内地に三個師団、朝鮮に二個師団、満州に十三個師団、中国に二十二個師団、そして南方進攻作戦に十個師団を仏印においていた。
 航空兵力は内地の第一飛行集団(司令部は各務原、)とソ連に睨みを効かせ動けない第二飛行集団(司令部は牡丹江)と航空兵団(新京)と南京の第一飛行団であり、南方進攻作戦に、プノンペンやサイゴンなどに、中国から南下する第三飛行集団が進駐した。
   大本営は昭和16年11月6日、南方軍戦闘序列を発令した。
              南方総軍(総司令官 寺内寿一大将)
                            (直轄)第21師団、
                  第14軍(軍司令官 本間雅晴中将)フィリピン攻略
                                 第16師団、第48師団、独立混成第65旅団
                  第15軍(軍司令官 飯田祥二郎中将)ビルマ攻略
                                 第33師団、第50師団(一部欠)
                  第16軍(軍司令官 今村 均中将)蘭印攻略
                                 第2師団、独立混成第56旅団
                  第25軍(軍司令官 山下泰文中将)マレー攻略
                                 近衛師団、第5師団、第18師団
                  第3飛行集団隼( 菅原道大中将) マレー・シンガポール
                                 第3飛行団、第7飛行団、第12飛行団、第15独立飛行隊
                  第5飛行集団高( 小畑英良中将) フィリピン
                                 第4飛行団、第10飛行団、第10独立飛行隊
大東亜戦争は新たに米、英、オランダ、オーストラリア、インドなどを相手に戦うことになり、資源の豊富な土地を求めて南進論が採用されマレー・フィリピン攻略後に第3飛行集団、第5飛行集団の航空兵力を使い、その後 蘭印攻略に航空兵力を廻し、ビルマ攻略を開始した。

ビルマ(ミャンマー)は日本にとって南方資源地帯を守る絶対国防圏の西壁であり、ラングーン−ラシオ−昆明と続く連合軍が中国に支援する援蒋ルートの拠点でもあった。
昭和17年2月17日 第15軍(飯田洋二郎中将)は、ビルマ南部に進攻作戦を開始した。同年3月8日には首都ラングーンを占領した。大本営は第25軍と第三航軍をビルマ全土の展開させた。

各所で激しい抵抗をしていた英印軍は多くの捕虜を残してインドに退却し、支那軍はフーコン河川を経て逃れていき、昭和17年5月17日ビルマ方面の進攻作戦は終了した。
その後、敵の反攻が始まり日本軍の最悪な素人が聞いても無能無策な作戦がビルマ方面軍で始まり、多くの兵士が殺されました。
日本の兵士を殺したのは日本の戦争指導者(将官・参謀)なのです。なかには優れた武将もいましたが責任は免れないでしょう。

この戦争は軍人の意地の戦争の様に思えてなりません、多くの将官は米英蘭壕相手に勝てるとは思っていなかった。しかし日本の意地(軍人の意地)で戦い終戦を考えて居なかったのでは?
軍隊の上層部の統制派・皇道派の派閥争いに関わる反主流派の意地や、ただ一矢報いたいだけの武人の意地そのために、多くの兵士の命が無駄になったことが悔しく寂しいことに思えます。

ビルマ戦線年表

1940年 7月    フランスはドイツに降伏し極東の兵士の士気は衰えた。
1940年 9月    第5師団(広島の兵)が華南進駐部隊が突如、仏印(フランス領インドシナ)の国境を突破した。
1941年11月    南方侵攻作戦のため、南方総軍を編成した。
1941年12月    太平洋戦争勃発、第25軍マレー半島上陸、第14軍フィリピン、ルソン島上陸、
             第15軍はタイ国に進攻した。
1942年 1月    第25軍(近衛師団、第5師団、第18師団)シンガポール総攻撃
1942年 2月    第25軍シンガポール没落、 第16軍はスマトラ島東西2点から上陸開始した。
             第15軍はビルマに進攻した。
                   第15軍戦闘序列
                         第56師団(雲南地区)
                         第18師団(中部ビルマ)
                         第33師団(西部ビルマ)
                         第55師団(西南正面)
1942年 3月    第16軍第2師団勇、ジャカルタ占領した。第15軍第33師団ラングーンを占領
1942年 5月    第14軍はフィリピンのコレヒドール島に第4師団上陸占領した。
             第15軍第18師団(中部ビルマ)マンダレーを攻略。 
1942年 9月    東部インドを占領する計画(作戦を二十一号作戦)を立て、9月1日j準備命令
1943年 1月    1942年11月に英空軍にアキャブを空襲され、第55師団長古閑健中将と第三十三師団宮脇支隊は
             アキャブに攻撃
1943年 2月    ウィンゲート空挺団がビルマに降下する
1943年 3月    ビルマ方面軍を編成する
                 ビルマ方面軍(司令官 河辺正三中将)
                                (直轄) 第55師団((西南正面)
                       第15軍 (司令官 牟田口廉也中将)
                                     第56師団(雲南地区)
                                     第18師団(中部ビルマ)
                                     第33師団(西部ビルマ)
1943年 6月    1943年5月(烈)第31師団の編成を完了し、第15軍に編入する。
1943年 8月    ビルマ独立。 大本営はビルマ方面軍にウ号作戦の準備を命令した
1943年10月    南方総軍総参謀長清水中将、総参謀副長稲田副長更迭・後任は大本営第一作戦部長綾部少将
1943年11月    大東亜会議(東京)開催。 第55師団のアキャブ牽制攻撃開始
1944年 1月    大本営はインパール作戦の実施を認可。ビルマ方面軍に第28軍創設
                 ビルマ方面軍(司令官 河辺正三中将)
                                     独立混成第24旅団
                          第15軍 (司令官 牟田口廉也中将)
                                     第56師団(雲南地区)
                                     第18師団(中部ビルマ)
                                     第33師団(西部ビルマ)
                                     第31師団
                          第28軍 (司令官 桜井正三中将)(西南正面)
                                     第55師団・ 第54師団・ 第2師団
1944年 2月    ガラハト部隊が北ビルマに侵攻する。 
1944年 3月    ウ号作戦(インパール作戦)の発令
1944年 4月    ビルマ方面軍に第33軍を創設
                 ビルマ方面軍(司令官 河辺正三中将)
                                (直轄) 第53師団  独立混成第24旅団
                         第15軍 (司令官 牟田口廉也中将)
                                     第33師団・ 第31師団・ 第15師団
                         第28軍 (司令官 桜井 正三中将)
                                     第55師団・ 第54師団・ 第2師団
                         第33軍 (司令官 本多 政材中将)
                                     第56師団・ 第18師団
1944年 7月    インパール作戦中止。東条内閣解散

 インパール作戦の被害はガ島の約4倍以上に達し、日本軍(戦死30502名戦傷病41978名)72480名、英印軍(15師団正面920名、31師団正面4064名、33師団正面12603名)惨状もガ島戦をしのいだ。作戦終了後の兵員は15師団(祭)3000名9%、31師団(烈)5500名8.5%、33師団(弓)3300名9%と減っていた。

 インパール作戦が中止され7月4日の「機密戦争日誌」は「ビルマ「ウ」号作戦中止せらる。 東亜情勢帝国に取りますます非なり。 この秋奮起せずんば悔を千載に残さん」
と書いてあるが、大失態の感想がこれではあまりにも情けない。

 インパール戦後、ビルマ方面軍司令官は木村兵太郎中将に参謀長は田中真一中将に代わり、第15軍司令官は片村四八中将に代わり参謀長以下幕僚が更迭、第15,31、33師団も師団長はもとより参謀長も更迭され陣容は一新したが、インパールの「自滅戦」で大幅に衰え、アキャブ方面にたいする英軍の圧迫、雲南国境からの中国遠征軍の攻勢に押され、苦闘の持久戦となった。